鏡の中の物理学(朝永振一郎著)

ノーベル物理学賞を取った朝永振一郎氏が書いた「鏡の中物理学」という本は物理学者が書いた一般向けの書籍です。

この本は、私達の日常を支配している古典物理学では説明できないミクロな現象をわかりやすく解説しています。
ミクロな現象というのは、原子のレベルの大きさの粒子、たとえばそれを構成する電子や陽子です。我々はこの小さい原子が集まってできているのですが、それらひとつひとつに注目すると不思議な現象が起きているのです。
その現象を記述する物理法則を量子力学といいます。

現実は小説よりも奇なりといいますが、この本に収録されている「光子の裁判」を読めばそれを改めて感じることができると思います。
量子力学に従う光子が辿った道筋は、古典力学に基づいて理解しようとすることができないということを裁判風に解説しています。

量子力学の不思議

小説よりも奇なり、というよりも、物理学は哲学よりも”非現実的”ではないでしょうか。

哲学ではよく思考実験をして議論を展開します。
たとえば人に”心”はあるのか、という哲学的問を与えられたとします。話している相手に”心”があるかどうか、どうやって判断したらいいでしょうか。
そこで、仮に相手が”心”を持たないが普通の人間と同様に会話ができるゾンビだったとして思考実験をしてみましょう。あなたはどのように”心”がある人間と”心”を持たないゾンビを区別しますか。想像してみてください。これが思考実験の入り口です。

また、正義とはなにかという問も哲学的な問です。仮に1人の罪のない人間を生贄にささげると3人の他の人間を助けられるという状況を考えてみましょう。このとき、3人を助けるのが正義なのか、生贄を否定するのが正義なのか、人数を変えた場合はどうなのか、議論は尽きません。この例では比較的現実的な状況を考えることができます。

物理学の法則に戻ってみましょう。量子力学によれば、あらゆる物質は粒子であり波でもある。
ある物質がある部屋に閉じ込められていたとします。波であるという観点でみれば、それは2つの出口を同時に出ることができる。しかし、それが出口を出たときにその物質を粒子として観測すると、どちらかの出口でしか観測されない。普通に考えたら全く理解できないですが、これが現実を記述する物理法則の帰結です。

また、ある子供が自転車で小山を登っているとします。子どもは勢いよく小山に登り始めますが、残念ながらエネルギーが足りずに途中で力尽きてしまうとします。普通に考えたらこの子は小山の反対側に行けません。
しかし、量子力学の法則を信じれば、この子が小山の反対側に行ける確率は厳密には0ではありません。この子も物質でできていますので、波の性質も持ちます。するとその波が小山の”量子力学的なトンネル”を通過するという現象がおきる可能性があるのです。

もちろんそのような確率は非常に小さいです。現実的なだいたいのスケールでは \( e^{-10^{34}} \) というとてつもなく小さな確率になります。諦めずに何度もトライすれば原理的に小山を超えられるとはいっても、現実的ではありませんね。

哲学を議論するときに行う思考実験よりも、現実に起こっている物理現象のほうが”不自然”ではないでしょうか?不思議です。

コメント